チャーリーとチョコレート工場に出てくるカカオ好きの「OOMPALOOMPAS(ウンパ・ルンパ)」に似ているというので社員からプレゼントしてもらったウンパ・ルンパ人形をアイコンにしました。もちろんチョコレートが大好きで、結構、味にはうるさいです。
年齢 1950年1月生まれなので計算してください。
職業 創業明治16年の呉服屋の4代目店主
血液型 典型的なB型
(飽きっぽいとよく云われるが本人の中ではきっちりやり抜いた感あり)
家族 女房と二人暮らし
子供 男二人結婚して別のところで暮らす
孫 女子一人、男子一人
誕生
私には誕生一日違いの兄弟以上に馬の合う従兄弟がいます。当時のお産は、妊婦が実家に帰ってお産婆さんを呼んで生むことが多かった時代。母の実家で一日前に誕生した従兄弟の喜びにひたっていた頃、私の母はお腹にいた私と共に自転車に掛け乗り実家まで「生まれちゃうよー」と叫びながら実家に戻り、私を生んだと聞いている。
その従兄弟とはとても仲良くしている。
少年時代
比較的裕福な家庭に生まれたと思っているが、親に内緒で納豆のベンダーを肩から下げて各家を回り納豆の行商をしたりしていた。(当時は新聞配達的なバイトでした。)昔は豆腐屋さんとかいろいろな行商が街の中をまわっていました。古き良き昭和の時代です。
中学時代
夏休みには海が近かったせいか、午前中は野球、午後からは海に行って遊びほうけていた。あるとき一人で海に行き堤防の中で潜って牡蠣を採って遊んでいたが、海から上がると陸に脱いでおいた服が全部盗まれていた。仕方なく採れた牡蠣を持ってバス停まで歩き、バス停に待っていた白い服を着たお姉さんに売りつけたお金でバスに乗って帰ろうとしたら、話を聞いたその姉さんが「私がバス代出してあげる。」と言ってくれて海水パンツ一丁でバスに乗って帰ってきた思い出がある。あのお姉さん今頃どうしているだろうか?生きていれば相当なお婆さんになっているはず。(笑)
高校時代
3年間ビートルズに明け暮れ、出たレコードはすべて買い揃えた。知らない曲はまずない。2013年11月のポール・マッカートニーの「OUT THERE」を見に行き、若者たちがシャウトしているのを見て「こいつら、知らねーくせに!」と結構ひねくれた感情を持って見ていた。同じ学年に気に入った女子がいて告白したらOKが出て、そのことに安心して一度もデートをしないまま卒業してしまった変った思い出がある。その女性には、ほんとに失礼をしたと後で後悔した。
大学時代
学校にほとんど行かず、後楽園でビールの売り子のバイト。ベンダーを下げて観客席を駆け回っていた。誰も入れない球場で長島さんの打撃練習をよく眺めていた。(未だに単位が足らなくて、友達が卒業してしまったキャンパスで履修科目すら分からなく焦っている夢を見る。)そして、稼いだお金でアメリカ横断旅行を敢行。フィラデルフィアのステーキハウス(といっても単に牛肉を扱ったハンバーガーを売っていた店(^_^;)でバイト。1ドル360円時代の頃だったので結構稼げた。1日16時間労働した結果、帰りのハワイに立ち寄ったところでワイキキビーチの歩道でぶっ倒れ顔をすりむき今でもアザになって残っている。