私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる。
それでは、この最後の日にあたって、貴重な今日一日を、私はどのように過ごせばよいのであろうか?
まず第一に、私は、自分の人生という容器にしっかりと封をして、中身が一滴たりとも、外の砂の上にこぼれ落ちない様にする。 この意味は、「過去の不運を嘆かない」ということである。
私には、 昨日の不運、 昨日の敗北、 昨日の心痛などを嘆いている暇はない。 嘆いたとて、すでに過ぎ去ってしまった日の、悪いことを良いことに変えられるはずはあるまい。 砂時計の、 落ちてしまった砂を、 ふたたび浮かすことができるだろうか。 太陽は、 沈んだところから昇り、あるいは、 昇ったところへ沈むであろうか。 私は昨日の誤りを正しいものに変えることができるだろうか。 私は、昨日受けた傷を呼び出し、無償の状態へ戻せるだろうか。
私は、 昨日の若さをもう一度取り返せるだろうか。また、他人に対してしゃべってしまった暴言、与えてしまった打撃や苦痛を撤回することができるだろうか。 答はすべて、 「ノー」である。
「過去は過去として、 永遠に葬らしめよ」 である。 私は、 それらのことはもう考えない。
私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる。
では、 どのように生きればよいのか。
私は、 昨日のことを忘れることにしたが、 同時に、 明日のことも忘れることにしよう。 不確実な未来のため、 確実な現在を放棄するのは愚かなことである。 砂時計の中で、 明日の砂が、 今日の砂より先に流れることがあろうか。 朝、 太陽が二度昇るということがあろうか。 今日という道の上に立ちながら、 明日の行為がなせるであろうか。 明日の金を、 今日の財布に入れることができようか。 明日の子供が、 今日生まれることがあろうか。 明日の死が、 後方に影を投げかけ、 今日の喜びを暗くしてしまうとでもいうのか。 出会わないかもしれない事件に気を病む必要があろうか。 起こらないかもしれない問題に、 今から悩む必要があろうか。 答えはすべて、 「ノー」 である。
明日も、 昨日とともに、 葬られているべきものである。 私は、 もはや明日については考えない。
私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる。
今日この日が、 私にとってすべてであり、 そして、 今、 刻まれているこの時が、 私にとっての「永遠」なのである。 私は、 死刑の執行が延期された囚人のように、 歓喜の声をあげて、 今日の日の出を迎える。 私は、 両手をあげて、 この新しい贈り物に対して感謝する。
昨日の日の出は迎えたが、 今日はもう、 この世を去ってしまった人もいる。 私は、 嬉しさのあまり、 自分の胸を叩く。 私にとって、 今日という一日は、 思いがけないボーナスであった。 私は、 実にラッキーな男ではないか。
なぜ、 私は、 私よりはるかに優れた人びとが世を去った後も、 もう一日、 この世に止まっていられるのだろうか?
他の人びとは、 すでに目的を成し終えたのに、 私は、 まだ成し終えていないからなのか?
かつて、 私が思い描いた私自身の理想の姿へ近づかせんとして、 与えられた機会なのか?
あるいは、 自然には、 なにかの目的があるのか? あるいは、 今日は、 私が一段と抜きんでる日なのか?
私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる。
私は、たった一つの人生しかもっていない。 人生とは時間で計られるものにしかすぎない。
一時の無駄は、 一生という人生の無駄である。 そしてもし私が、 今日という日を無駄にするならば、 それは私に人生の最後のページをむしり取ることになる。
そうなれば、 失ったその時は、 もう取り戻すわけにはいかないのだから、 私は、今日の一刻一刻を大切にしなければならない。
時間は、 今日、 銀行に預けておいて、 明日、 引き出すというわけにはいかない。風を捕まえておくことができないことと同様である。私は、今日の時間の一分一分を、 両手の中で、 包みこむようにして、 慈しむ。 なぜなら、 それは、 金銭的価値を越えたものであるからだ。 死にかけた人物が、 自分の全財産を投じても、 もう一呼吸の息は買えまい。 「金には変えられないもの」それは、 人生でもっとも貴重なるものである。
私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる。
私は、時間を無駄にする者とつきあうことは、 怒りをもって拒絶する。 時間の引きのばしは、 ただちに行動をもって排除する。 疑いは誠実さのもとに葬り去る。 恐れは、 信念を持って断ち切る。 無駄口には耳を貸さない。 ぶらぶらしている者とは、 つきあわない。 怠け者には、 近づかない。
これより、 私は、怠け者とつきあうことは、 私の愛する者から、 食べ物、 着る物、 暖かさを盗む行為になるのだ、 と考えることにする。
そして、 本日ただ今こそは、 私の愛と偉大さを示す最後の機会なのである。
私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる。
今日、 成すべきことは、 今日のうちにすます。 今日、 私は幼い私の子供らを慈しむ。 なぜなら、 明日は、 彼らは去り、 私もいなくなるのだから。 今日、 私は愛する妻を抱きしめ、 甘いキスをする。 なぜなら、 明日は彼女は去り、 私もいなくなるのだから。 今日、 私は困っている友に手を貸そう。 なぜなら、 明日は彼らは、 助けを求めて叫べなくなるし、 私も、 彼らの叫びが聞こえなくなるのだから。 今日、 私は、人びとに与えるべく、 力のかぎりに働く。
なぜなら、 明日は、 私には与えるべき物は何もなく、 受けとってくれる彼らもいないのだから。
私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる。
もし今日が人生最後の日であるならば、 それは、 私のもっとも偉大な記念碑となるであろう。 私は、今日の一日を、 わが人生最良の日としよう。 私は、今日の時間の一分一分味わって飲みほし、 感謝する。 私は、時間を一分たりとも無駄にせず、 価値あるもと引き換える。 私は、 以前にも増してよく働き、 自分の筋肉が悲鳴をあげるまで働く。 私は、以前にも増してよく売り、 利益をあげつづける。 かくて、 今日の一分は、 昨日の一時間より実りのあるものになる。
私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる。
そして、 幸いにも、 今日が最後の日でなかったならば、 私は、跪いて神に感謝を捧げる。
地上最強の商人 第五巻より